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海外の音楽業界・スクール事情
日本と海外はこんなにも音楽教育に対して環境がちがう!
海外の音楽学校って実はこんな内情です。などお送りします。

- 第1回「アヴェマリア」に感激してイタリアへ
- 第2回 なにはなくともまず語学!
- 第3回 留年?退学? 厳しい試験を乗り越えて
- 第4回 プロの世界で生きる覚悟とは?
- 第5回 ディ・カルロ・フェルナンド氏インタビュー
- 第6回 フランチェスカ・ロッセッティさんインタビュー
- 第7回 「出稼ぎ」に来る東ヨーロッパ諸国の音楽家たち
- 第8回 音楽学校の教授と生徒が語る声楽教育事情
- 第9回 フランス音楽留学の喜びと苦労
- 第10回 留学生の母が感じた音楽教育事情
- 第11回 音大に行かずフランスへ留学!
- 第12回 フランスで音楽学校を掛け持ち!
- 第13回 ブロードウェイの衝撃でNY留学を決意
- 第14回 偶然の出会いから最高の環境へ
- 第15回 単身渡英し、路上ギタリストとして活躍!
- 第16回 「バスカー」として演奏する喜びとは?
- 第17回 何のツテもないまま単身ニューヨークへ
- 第18回 ただ働きでいいからとスタジオに潜り込む
- 第19回 ジャニーズ出身!? ロンドン路上ギタリスト
- 第20回 ロンドンのバスカー生活で成長を実感
- 第21回 ニューヨーク在住のマリンバプレイヤー
- 第22回 バンドで成功を収め解散、そして結婚
- 第23回 イタリアの音楽教育事情 Part.1
- 第24回 イタリアの音楽教育事情 Part.2
- 第25回 イタリアの音楽教育事情 Part.3
- 第26回 本場・ミラノで活躍する女性声楽家
- 第27回 研究と実践を行い名誉ある賞を受賞
- 第28回 ローマ国立歌劇場日本公演に通訳として同行
- 第29回 少年合唱団の歌の教師に就任
- 第30回 (リポートのおまけ)お芝居に出ました
リポータープロフィール

富永正子(とみながまさこ)
大阪府茨木市に生まれる。
幼少の頃よりピアノを学び、相愛子供の為の音楽教室、相愛高等学校音楽科ピアノ専攻を経て、相愛音楽大学音楽学部器楽学科ピアノ科専攻卒業。大学在学中より、オペラに興味を持ち、声楽の伴奏にいそしむ。卒業後は渡伊。ペルージャでイタリア語を学んだ後、ローマへ。ローマで指揮者、故オッターヴィオ・ズィーノのもとでオペラ伴奏を学ぶかたわら、本格的に声楽の勉強を始める。その後ローマ・サンタチェチーリア国立音楽院声楽科に入学。同音楽院を次席で卒業。
その年に出た音楽雑誌「SUONARE MUSICA」(音楽演奏)のなかで「本年度のもっとも優れた国内音楽院の卒業生たち」の1人として掲載される。同音楽院でその後2年間研修生として学ぶ。その後、仏のボルドー・ノートルダム寺院で行われたヴェルディ記念コンサートに出演。2001年から翌年にかけて数回にわたり、ローマ法王公式謁見のなかで聖歌のソリストを務める。2002年地元テレビ局SAT2000の番組「VIVENDO PARLANDO」(話しながら 生きながら)に数回にわたりソリストとして出演。2003年以降はローマにはじまりリモーネピエモンテ、リエティ、ブラッチャーノ、セッツェ、モンテカステッロディヴィーヴィオ、コローニャヴェネトにおける劇場、コンサートホール、教会などでオペラ(「カルメン」「セビリアの理髪師」「奥様女中」「バスティアーノとバスティアーナ」に出演するほか、宗教音楽や室内楽、歌曲コンサート、オペラアリアコンサートを行い今日に至る。1992年よりNHKラジオに海外リポーターとして出演。歌い手のピアノ伴奏を行うほか、音楽教室でピアノと声楽の講師を務める。また最近は日本書籍のイタリア語翻訳にも取り組んでいる。
- 第5回
- ディ・カルロ・フェルナンド氏インタビュー
vol.5
イタリア・ローマにあるヴァチカン市国のサンピエトロ寺院。その中にあるシスティーナ礼拝堂といえば、ご存知の方も多いかと思う。今日はそのシスティーナ礼拝堂合唱団(ローマ法王お抱えで、法王が執り行うミサに必ず同行してミサ曲を歌う合唱団。日本にも2度来日している)に少年団員として入り、そして変声期を経た後もまた再び合唱団に戻ったテノール歌手、ディ・カルロ・フェルナンド(Di Carlo Fernando)氏のインタビューを通して、イタリアにおけるカトリック教の環境が生み出す、音楽のプロの道に関してリポートします。

今回seppa!musicのために取材に快く応じてくれたテノール歌手、ディ・カルロ・フェルナンド氏
--歌はいつごろからどんな形で始めたのですか?
5歳のときに母に連れられて通っていたローマの教会で歌い始めました。そこにはぼくと同じくらいの子供たちが他にもたくさん来ていました。その中で一部の子は牧師の手伝いをするのに選ばれ、他の子たちはミサの中で歌を歌わされていました。結婚式や宗教行事のあるときなどは、わずかではありますが、お金もいただいていました。
--その後どのような経緯でシスティーナ合唱団の少年部に入ったのですか?
教会でぼくはソロのパートを歌うようになっていたのですが、それが噂になって合唱団の神父がミサを聞きに来られたのです。そしてぼくの声は神父に気に入られスカウトされました。合唱団で歌う少年たちはそのために作られた小学校に入学します。ぼくは地区内の小学校からその小学校へ転校しました。
--小学校はどのようなカリキュラムなのですか?
学校の名はスコーラ・プエルールム(Scola Puerurum)といって、小学校の高学年から入ります。学校に通うのは男の子だけです。そこでは普通の小学校と同じ勉強の他に、毎日ソルフェージュの勉強を1時間と、歌のレッスン1時間があります。ローマ全域からスカウトされて集まった少年たちは、まず1年間試験期間としてそれらを学び、その後再び審査された後に晴れて合唱団の一員になります。
--少年合唱団員としての義務はありましたか? またその報酬はありましたか?
ローマ法王が司るすべてのミサで歌うことが合唱団員の役割です。ときには3時間もの間ミサに参加していなければならず、それは遊び盛りの子供には厳しいものでした。特にクリスマスのミサなどは夜中に行われ、また他の子供たちが遊んでいるなかで歌わなければならないので、普通の子供の生活ではありません。報酬はお金ではなく、学校教育に必要な一切のものを支給されたり、通学にかかる交通費などをすべて払い戻されたりする形でいただいていました。
--変声期を迎える頃どうなりますか?
学校は小学校高学年から中学3年までですが、変声期を迎えた時点で合唱団には参加できなくなります。
--では合唱団を出てからは何をしていましたか?
音楽院に入ってホルンの勉強を始めましたが、途中で挫折しました。その後はいろいろな仕事をしました。
--歌うことからは遠ざかっていたのですね。それがどうしてまた合唱団に戻ることになったのですか?
ある日、街中でスコーラ・プエルールムの責任者だった故・カテーネ神父と再会し「変声期後の声はどうか」と聞かれました。「まだそれなりに美しい声であると思う」と答えると、再び歌のレッスンを受けて、合唱団の男声の部のオーディションを受けるよう勧められました。その後オーディションに受かり、2年間は試験期間として無報酬で歌い、また再びオーディションを受けて、晴れて団員として認められ、今日に至っています。
--では現在は歌で報酬を得て生活しているのですね。
はい、いただいている給料は合唱団の資料、及び楽譜の保管人の仕事ともに、イタリアの平均サラリーより良いものです。また拘束時間そのものもサラリーマンと比べるとたいへん少ないものです。そのほかには国営放送ライの合唱団で歌ったり、サンタ・チェチーリア・アカデミー合唱団で歌ったりしてきました。今は週末に各地で行われるミサや結婚式などで頻繁に歌っています。
--システィーナ合唱団の少年の部にいた他の人たちのその後はどうですか?
国際的に活躍しているソロのオペラ歌手がたくさんいます。また歌手にならなくともプロの音楽家になっている人たちも少なくありません。もちろん音楽の道とはぜんぜん違った道を歩んでいる人もいます。先日も警察官になっている元同級生とばったり道端で再会しました。もっとも彼は少年のとき常に兵隊のおもちゃで遊んでいましたので、正しい道に進んだと思われますが(笑)。
--最後に「seppa! music」の参加者にアドバイスをお願いします。
どんなジャンルの音楽でも、まずは自分が歌う曲を自由に歌えるテクニックを身につけることだと思います。それにはしっかり勉強してください。そして幸運は天から降ってはきません。行動を起こして自らの手でチャンスをつかんでください。
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