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音楽業界アーカイブ&インタビュー

脱ミューのススメ

音楽しか目の前に無かった人の、ちょっとした目線の変え方、人生の変わり方実例を紹介。
脱サラならぬ、脱ミュー。

過去、現在


プロフィール


日野亮一氏

日野 亮一(ひの りょういち)


株式会社源治屋
代表取締役
1973年5月14日生まれ、大分県出身。
中学2年の頃、Sex Pistolsに影響を受けパンクバンド結成する。
高校3年のときに、ボーカルの交通事故によりバンド解散。
19歳で福岡・中洲のライブハウスに在籍し、約10年にわたりベーシストとして活躍。
ビジーフォー、ジョニー大倉、Driftersなどのバックバンドへの参加経験も持つ。
2003年に福岡にて花屋を開業し、現在3店舗目を開店。
2006年には株式会社源治屋を設立し、ネットショップをオープン。
同店が新聞等でも取り上げられ大ブレイクを果たす。
同年、歌手として福岡を拠点に活動していた女性と結婚。
現在一児の父でもある。

HINO ALBUM

高校時代のパンクバンドでのライブから

第1回
ライブハウスがないのでコンテストに出場

vol.1



音楽を職業に選んで生活したいと考えている人、バンドで一旗上げてやる!と夢や希望に満ちあふれている人、そして音楽で生活することにちょっと不安を感じている人。そんな人たちにちょっと視点を変えて「音楽以外の生き方もあるよ」と実例を紹介するのが、このコーナー。「脱サラ」ならぬ「脱ミュー(脱ミュージシャン)」というコンセプトのもと、さまざまなジャンルで成功を収めた方を紹介していきます。

第13回に登場してもらうのは、セミプロのミュージシャン生活を経て、現在は花屋を経営する日野亮一さん。まず最初に音楽を始めるきっかけについてお話を伺いました。

--まずはじめに、日野さんが音楽を始めたきっかけを教えてください。

最初は中学生のとき、BOOWYが流行っていて聴き始めたのがきっかけです。布袋寅泰のギターがとにかくカッコよくて、それに影響されてギターを始めました。当時はBOOWYのビデオを観ながら、よくギターを弾くマネをしましたね(笑)。ちょうどその後くらいに「イカ天」ブーム……いわゆるバンドブームが始まるんですけど、なかなか思うように弾けなくて、すぐに飽きちゃったんですよ。

--そうだったんですか。

それで、たまたま同じタイミングでパンクにハマりだしたんです。きっかけはSEX PISTOLSだったんですけど、とにかくベースのシド・ヴィシャスがカッコよくて、周りにはギターをやっている奴が多かったので、ベースを始めることにしました。その後、中学2年のときにバンドを始めることになったんです。

--バンドではどういう曲をやっていたんですか?

もう、パンクばかりですね。最初はSEX PISTOLSから始めて、だんだんとLAUGHIN' NOSEやTHE STAR CLUB、THE MODSといった日本のパンクのコピーをするようになりました。

--それじゃあ、ずっとコピー中心だったんですか?

だんだんと曲っぽいものを作りはじめて(笑)、しだいにオリジナル曲も演奏するようになりました。

--ライブを最初にやったのはいつごろですか?

初めて人前で演奏したのが、「TEEN'S MUSIC FESTIVAL」(YAMAHA主催による、10代向けの音楽コンテスト。1987年にスタートし、2006年度の第20回大会をもって終了)というコンテストでした。

--ライブハウスではなかったんですね。

私は福岡と大分の県境になる、大分県日田市に住んでいたんですけど、周りにライブハウスみたいなものがない田舎だったんですよ。だからライブハウスにテープを送ったりとか、オーディションライブを受けるといったこともなくて、コンテストを受けるくらいしかなかったんです。それ以外だと、市民会館とか町の公民館で数バンド集まって、学校の友だちを呼んでライブをやったりしていましたね。

■バンド解散~単身福岡へ

--中学・高校とバンドでいろんなコンテストに出たかと思いますが、ちなみに結果や成績はどうでした?

なにかしらの賞には入ってましたね。そういった賞は何回か受賞してます。

--ではそういう結果が自信になって、音楽で食べていこう、プロになろうなんて思ったりしたんじゃないですか?

そうですね。その頃にはもう「有名になりたい」とか「音楽で食べていきたい」と思って、プロのミュージシャンを目指していました。ちょうどその頃はバンドブームだったので、活躍するバンドを目にしては、自分も有名になって大きなステージに立ちたいと夢見ていましたね。

--となると、高校を卒業するときの進路というのは、どういうふうに考えていましたか?

ちょうど卒業間際にバンドのボーカルがバイク事故に遭ったんです。それがきっかけで、そのとき組んでいたバンドが解散しまったんですよ。結局バンドでプロを目指すという道をあきらめて、単身福岡に出て行くことを決心しました。

第2回へつづく